これって、カルマ? なんで、俺が

これって、カルマ?  なんで、俺が
 
いやしの森から、
こんにちは🍀
 
ブログ記事のタイトルで既にお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、今回も、映画にからめたお話です。
 
「これって、カルマ?」
 
という言葉は、
 
「ブレット・トレイン」 という、伊坂幸太郎 氏 の小説が原作で、俳優の ブラッド・ピット 氏 が主演の現在公開中の映画中のセリフです。
 
「なんで、俺が」
 
という言葉は、
 
「移動辞令は警察音楽隊」 という、阿部 寛 氏 主演の現在公開中の映画中のセリフです。
 
それぞれの映画の中身については、ネタバレになるといけませんので、書くことは控えさせていただきます😌
 
この2つの映画から、強く感じたことは、
 
想定外の自分にとって望ましくない出来事に対して、
 
人は、自他の幸福のために、どんな態度を取りうることができるだろうか ?
 
ということでした。
 
「これって、カルマ?」
という翻訳の原文は、
 
Is this Karma?
 
でしたので、カルマ(業) は、すでに英語世界では、キモノと同様にそのまま使われて定着しているようです。
 
善因善果
(善いことをする原因によって、善い結果を得る)
 
悪因悪果
(悪いことをする原因によって、悪い結果を得る)
 
仏教でいう、因果法則のことを、このカルマという言葉で表す場合があります。
 
残念ながら、
完璧にカルマのことをしることは、ブッダ以外にはできないそうです😅
 
これって、カルマ?
 
と、聞いてしまうのも、そういうワケです。
 
そして、
もっと残念なのは、
聞いても、考えても、
 
自分にも、
誰にも、
 
完璧な答えを出すことができないことです。
 
悩ましいですね…。
 
「なんで、俺が」
と、
思わずいってしまうとき、
 
・ありえない
・あってはならない
・あるはずではなかった
(何かの間違い)
 
 
「なんで自分が、こんな目に…」
という気持ちがある場合は、
 
カルマを意識しているのではなく、状況の否定や受け入れ拒否のような心理が推測できます。
 
映画では、それぞれの主人公がする、自分の出来事の捉え方によって物語が創られていくわけです。
 
何が言いたいかというと、
 
自分に起こる出来事や、
自分が経験するすべては、
 
<自分のものの見方次第>
 
という、
とっても重要なポイント❗️
を言いたいのです。
 
生命は、
 
現象を自分の価値基準で、
 
自分の
評価したいように
評価し、
 
解釈したいように
解釈し、
 
意味付けしたいように
意味付けし、
 
つけたいように
言葉のラベルをつけ、
 
それらを原因に、
それらに依存して、
何かを求め、
それを得られるようにと、次の行為を決めます。
自業自得 の由縁です。
 
ですので、
 
カルマ のことを気にするか、気にしないか
 
は、問題でも解決策でもありません。
 
<自分のものの見方>
に、気づいて、
 
<自分のものの見方>
を、より善いものへと変えていくことの方が確実です。
 
ベタベタですが、
 
コップに半分水がある。
もう半分しかない、
とみるか
まだ半分もある
とみるか…
 
というたとえ話がありますよね。
 
どっちがいいか、という問題ではなくて、
 
それをどうとらえるのか、によって、
 
その後に経験することが現れてくる、ということです😊
 
コップの水の量を気にしない、
 
というアプローチもありですしね。
 
コップそのものを気にしない、
 
も、ありです。
 
今、
何か不安や悩み、混乱、焦り、怒り、嫉妬、落ち込み、緊張、劣等感、猜疑心
(わー、いっぱいでてきました😵)
 
などで、
ちょっと心がザワついているなら、
 
💡これも、
一つの
一時的な
自分でつくった
ものの見方にすぎない。
だから、
変えられる。
変わってしまう。
変えてもいい。
変わってもいい。
 
と、試しに思ってみてください。
 
ちょっと面白い経験ができるのではないかと思います。
 
自分のつくる現実は、自分だけの現実ですから。
 
他の生命は、それぞれ、自分の現実をつくっていますから。
 
自分が他者の現実を作ってあげることも、他者に自分の現実をつくってもらうことも不可能です。
 
でも、だからこそ、
おのおのが自由に❗️
自分のものの見方を変えることができるのですよね😊
 
自業自得のこの世界、
どうせなら、
活かしつくしましょう。
 
お互いの幸福のために✨
 
 
Words by 赤月凪 亜優見